■歴史の町■
木曽谷のほぼ中間に位置し江戸時代には宿場町として栄え関所が置かれた要衛の地であった木曽町福島。
現在も木曽谷の政治、経済、文化の中心であり、JR中央線木曽福島駅は観光ターミナルとして多くの人で
にぎわいます。
関所


関が原の合戦後、徳川家康は五街道の整備を進め東海道と中山道を、京都・江戸間幹線道路に指定します。幕府は江戸防衛の為に五街道五十箇所の関所を設け、 ほどなく福島の地に関所が設けられます。「入鉄砲に出女」−女改め(女装し出国する事)や鉄砲改め(銃の流出)を厳しく行う事に重点をおいた福島関所は、 江戸幕府が設置した関所のの中でも要衛であったと言われております。
山村代官屋敷

木曽福島を根拠地に信濃四大将の一人として信濃、美濃、飛騨に雄飛した木曽氏・の遣臣山村良候・良勝父子。関が原の参戦での功を認められ徳川家康より福島 関所の関守に任命される。以来、山村氏は十三代274年に渡り木曽を支配すると共に福島関所を守りました。現存するのは下屋敷の一部と庭園、石垣の一部で すが、幕府直臣の旗本格を与えられていたのにふさわしく、広大な屋敷であったと言われている。
興禅寺
山村代官屋敷から少し歩くと木曽氏・山村氏の菩薩寺であり木曽三大名刹のひとつである「興禅寺」があります。本堂の前に広がる「看雲庭」は現代作庭家の重 森三玲によるもので木や草を用いない庭としては東洋一の広さを誇り雲海の美をテーマにした見事な景観を見せております。境内の山すそには義仲をはじめ木曽氏歴代の墓碑が静かに建ち義仲の墓には巴御前に託した遺髪が埋葬されています。


                                                           △先頭ページへ△